はい、ぽんずです。
いよいよ明日はバレンタインですね。チョコレートが大好きな自分としては、一年に一度のビッグイベントです。
モテまくってチョコが山ほどもらえるわけではないのですが、百貨店なんかに並ぶ普段は手が出ないチョコレートを食べることが出来るので、バレンタイン自体は大好きです。
しかし、我が家の妻はバレンタインが来るたびに頭を抱えてしまっています。
その理由は「職場への義理チョコの用意」という難敵です。
自分への本命?チョコ以上に気合が入っていてもやもやしてしまいます。笑
一度始めたものはやめにくい
妻の職場への義理チョコは入社してから現在まで、欠かさず行ってきた一種の恒例行事です。言い方を変えれば、2/14だけ発生する仕事のようなものです。
妻に聞いてみると、「やりたくてやっているわけではない」というのですが、ここまで続けている姿を見ると、好きでやっているところもいくばくかはあるのかもしれません。
ほかにも、妻曰く「良いカッコしいの性格が原因」と自己分析をしていました。人によく思われようと考えて行動するのは本人は苦しいかもしれませんが…。
年賀状やお中元、長期休暇の帰省も突き詰めると同じだと思うのですが「一度始めたものをやめること」というのが苦手な人は多いと思います。
やめること悪いと考えてしまうのか、後ろめたさというか、習慣を変えることの億劫さが真理なのではないかと思われます。
余裕がないと決断できない=やめられない
先日けんすうさんの記事で「エネルギーがない人が新しいことをはじめる時のコツみたいなやつ」を読みました。
内容自体すっきりと腑に落ちるものでした。そして思ったのが、はじめることと同じくらいやめることにもエネルギーが必要だということです。
新しい仕事をするという行為も、今している仕事を辞めるということになります。
時間が有限である以上は、何かを始めるときには一緒に何かを辞めるという行為がセットになります。
この現状を変化させるという決断を下すためには、体と心の余裕がないと難しいのだと思います。
バレンタインに義理チョコを用意することは、「習慣」になっているからできる。
ただ、義理チョコを送らないという決断を下すことは余裕がないからできない。
妻が楽しく準備をしているなら温かく見守れるのですが、疲れながらやり遂げた姿をみると、手伝っていない私もモヤモヤしてしまいます。
義理チョコは誰のためのもの
義理チョコももらえない私の僻みだとは思いますが、 義理チョコは言ってしまえば、バレンタイン商戦を拡大するためのチョコレート業界の策略です。
もちろん、日ごろの感謝を伝える手段として行われるのは素敵なことですし、何よりチョコが好きな私にとっては、理由はなんであれもらえると嬉しいです。
しかし、義理とわかっていて贈るチョコってなんか一種の儀式ですよね。
やりたくて義理チョコを贈る人ってどれだけいるのでしょうか。
もしかしたら、妻のように「一度始めてしまったから…」といって義理チョコの習慣を辞めたいのにやめられていないひともいるかもしれません。
人間関係を円滑にし得る義理チョコ文化で、心をすり減らしてしまうのはちょっと寂しい気がします。
今回、妻には「しんどかったらやめようね」と言ってはみましたが、来年の今頃どのように過ごしているかは不明です。
そして、本命チョコ以上に準備を頑張っている姿を見るのが少しだけさみしいというのが本音なので、来年はしっかり本命チョコに気合を入れてもらえるように、妻に優しくしておきたいと思いました。